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椙山女学園大学 人間関係学部ブログ

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「国際化と人間」の海外研修として、今夏も8名の学生(他に国際コミュニケーション学部1名、教育学部3名、生活科学部5名)がシドニー大学ウィメンズカレッジで学んでいますが、その経過報告です。

プログラムは前半のenglish classが終了し、いまは最後のプレゼンテーションに向けて各学部独自の研究成果をとりまとめているところです。

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この海外研修プログラムは、現地で暮らすためのコミュニケーション能力を高めながら、さまざまな体験や自主研究を通して異文化理解を目指すもので、参加者たちは大いに迷ったり戸惑ったりしながらもたくましく適応しています。

2週目にはウィメンズカレッジ恒例のformal dinnerに招待され、イギリス寄宿舎の伝統を体験しました。formal dinnerとは、カレッジの学生全員が帽子とマント姿で食堂に勢揃いしてディナーを食べ、ゲストのスピーチを聴くという行事で、カレッジの学生たちが一斉にスプーンでテーブルを叩く中をゲストとともに入場し、ほとんどハリー・ポッターの映画の世界でした。

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数年継続しているCampbelltown Projectでは、シドニー郊外のCampbelltownという新興住宅地に出かけ、アートセンターでアート活動を通した地域貢献について学び、またマウリの人たちとダンスを踊りました。これらの活動報告や自主研究の成果はSydney Reportとして後日まとめられることになっています。

学生たちは31日に帰国します。

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私たちは、シドニー研修で、今日はNSWアートギャラリーに行ってきました。杉藤先生の通訳で、現地のフリーのアボリジニ学芸員のジョン・マンダインさんの説明でアボリジニ・アートについて学んできました。

日本では暑い夏が続いているでしょうがいかがお過ごしですか。まもなく、二回目のオープンキャンパスが始まりますね。ぜひ、参加して下さい。

なお、このシドニー研修には、人間関係学部のほか、生活科学部生活環境デザイン学科と教育学部が参加して、実施されています。

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8月28日(土)はシドニー大学のオープンキャンパスの日でした。
シドニー研修の期間中だったので、どんな様子かのぞいてきました。こちらではSydney Uni OPEN DAY と言って、1日だけ開かれます。キャンパス内のメインストリートには色とりどりの風船が飾られ、ドリンクやサンドイッチを提供する屋台が出ています。インフォーメーションでは、BAG OF THOUGHTSと書かれた洒落たバッグにパンフレットを入れて来場者に配っていました。

ミニレクチュアあり、学科説明会や入試説明会あり、各種相談コーナーあり、実験のデモ(化学や物理、数学の部門です)あり、学生引率の校内ツアーありと、ほとんど椙山の内容はオープンキャンパスと同じでした。

心理学科のミニレクチュアを聞いてみました。Sallie Andrewという学科主任がパワポを使って説明しました。心理学は行動の科学であり、広範囲にまたがる領域であること。1年次はメイントピックの導入と方法論、いくつかの専門科目を学び、2年次では統計や方法論、さらに専門科目に進み、3年次では異常心理学、アドバンスト統計、および専門科目の4ユニットを選択、そして4年次は専任教員の指導のもとにコースワークとリサーチプロジェクトを行うこと。卒業後はどんな進路があり、そのためには何をすればいいか、何を学べば社会でどのように利用できるかなども説明されました。専任スタッフ各自の研究についての提示があったことと、大学自体が教育成果にかなりの自信をもって学生を送り出していることが感じられ、興味深く聞くことができました。
心理学はここではサイエンスに属しています。臨床心理学の説明もありましたが、あくまで心理学領域の一部という位置づけでした。

かなり広い会場が満員で、親子連れが目立ちました。
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8月7日から9月3日にかけて、シドニー研修が実施されます。

本年度の参加者は、人間関係学部からは9名、教育学部かと生活科学部をあわせて、26名が参加します。

シドニーは季節は冬、といっても、今日の最高気温が16度とのことですので、名古屋と比べると11月とか3月の感じでしょうか。とはいえ、現在の名古屋の気温は30度を連日超えていますから、体感気温としては、とても寒く感じられると思います。参加する学生たち、風邪など引かずに楽しんできてくれることを期待しています。
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8月になりましたね。大学は、まだ、数日前期の期末試験の日程や集中講義が残っていますが、8月7日、今年度のシドニー研修の学生たちが出発します。

さて、今年の海外研修では、どんなエピソードが生まれるでしょうね。

今年は、人間関係学部からは、9名。ほかに、教育学部、生活科学部の学生たち、合わせて、18名との合同のプログラムです。昨年は、新型インフルエンザのためにやむなく中止になっていましたが、今年は問題なく開催されます。
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新年明けましておめでとうございます。今年もまた、交代でこのブログに投稿していきますので、ご期待ください。

さて、昨2009年8月20日に「オーストラリアからの便り(2):野生ラクダの話」として、オーストラリアの野生ラクダについて書いたのですが、その後起きたことについて、報告しておきましょう。
昨年12月3日のABC(オーストラリアの放送局)のウェブニュースで、ノーザンテリトリー政府が中央砂漠の所定の地域に、12月7日から1週間航空機の立ち入りを禁じていいます。これは、3000頭の野生ラクダをヘリコプターを使って射殺して駆除するためです。こうした事態になったのは、11月25日のABCがつたえるウェブニュースによると、6000頭もの野生ラクダが中央砂漠のドッカー・リバーという町に干ばつのために水を求めて押し寄せ、水道施設などを破壊したという、事件によっています。
じつは、それまでも、天敵のいない野生ラクダの人口が増加して、植生に被害を及ぼしているので、人口抑制の必要や野生ラクダの資源化などについて議論が行われていました。
しかし、今回の事件は、駆除をしようというところまで飛躍したわけで、ヨーロッパの動物保護活動家などは、野蛮な行いであると強く非難し、オーストラリアへの旅行をボイコットするようにとの呼びかけも行われたとのことです。しかし、駆除後、大きな動きは少なくともインターネットの上では起きていないように思われます。

先にも書きましたが、オーストラリアのラクダは、もともと、中東から輸入されたもので、オーストラリアの固有の動物ではありません。オーストラリア内陸部の探検や開発のための資材の運搬手段として、ラクダ使いとともに19世紀中ごろ導入されたのでした。しかし、道路や鉄道の整備によって、不要となり、少なくとも1930年代ごろまでにはラクダは不要となり、野に放たれ野生化したのです。これが、オーストラリアの野生ラクダの起源ということになります。
最近では、観光用に乗用のラクダを飼育したり、中東に競走用のラクダを輸出したり、また、食用にするために牧場が開かれるという資源化の動きが見られたのですが、それよりも、環境負荷の主張が強く、ラクダ人口の抑制が緊急課題となっていたのです。

こうした問題を解決するためにはおそらく広範な議論が必要とされるはずで、一気に駆除をするというのは、相当飛躍があると思うのですが、いかがでしょうか。


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オーストラリアには、国公私あわせて40の大学があります(大学の一覧はこちら)。いずれの大学でも、積極的に留学生を受け入れています。在日オーストラリア大使館でも留学生(短期長期、学部、大学院を含めたもの)のプロモーションを積極的に行い、情報提供をしています。今年の留学生フェアは既に終わりましたが、日本の主要都市で実施されています(その情報はこちら)。

いま、首都のキャンベラに滞在して、昨日もオーストラリア国立大学でのワークショップに出席したので、当大学を例に留学生事情を少し紹介してみましょう。「インターナショナル・オフィス」という窓口で、留学生を扱っていて、そのウェブページは、こちらですが、これをみると留学のための情報や学生生活について、あるいは、奨学金についても触れられていて、かなりの情報をウェブサイトからも得ることができると思います。
広大なキャンパスを歩いているとアジアからの留学生をよく見かけますが、当大学が公開している資料を見ると、2007年の留学生の割合は24%で、5年前の2002年が15%であったので当時は、七分の一ほどであったものが、2007年には、学生の四分の一は留学生ということになります。多いですね。これは、オーストラリアの国家としての方針として、各大学は自助努力で学費収入を増やすことが義務づけられ、そのためにも、自国の学生だけではなく、留学生を増やそうとしているという事情があります。
しかし、同時に、オーストラリアという移民で成り立っている国家にとってもメリットがあるように思われます。つまり、自前で養成した留学生が学力や技術を身につけて出身国に帰るだけでなく、留学から移民へとステータスを変更してくれればこれまた望ましいことだと思われます。もちろん、大学自体、多様な社会文化を背景とする留学生を受け入れることにより、自国学生のカリキュラム外の多文化教育としても役立つことはいうまでもありません。

人間関係学部では1998年以来、毎年、シドニー大学ウィメンズ・カレジにおける4週間の海外研修を実施しており(今年は、新型インフルエンザの影響で中止となりましたが)、学生は短期間ではありますが、オーストラリアでの異文化体験を試してみることができます。
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わたしは、いま、中央砂漠の中心の町、アリススプリングスにいますが、昼前の便で、キャンベラに行き、明日、オーストラリア国立大学でのワークショップに参加します。
たまたまですが、来週の土曜日にオーストラリア国立大学のオープンキャンパス(当地では、オープンデイと呼ばれています)が開催されます。その様子を伝えるウェブページを見つけましたので、以下にリンクを張っておきます。 和服をきた学生の写真がありますね。オーストラリア国立大学には、たくさんの留学生が在学しています。きっと、それぞれの出身国や学んでいる地域についての発表なども行われるのでしょうね。

オーストラリア国立大学のオープンキャンパス(オープンデイ)
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今回の旅で見かけた野生化したラクダの群れです。彼らは、ヒトコブラクダ。
でも、みなさん、知っていますか?ヒトコブラクダは西アジア原産でアラビア半島や北アフリカで飼育されていて、野生のヒトコブラクダは現存していません。それが、なぜ、オーストラリアに?
じつは、野生のラクダはオーストラリアにしかいません。ただし、彼らも何世代か前は飼育されていました。では、なぜか。

オーストラリアの大地は、元々アボリジニたちがすんでいて、そこにヨーロッパからの移民たちによって、知られるようになりました。オーストラリア大陸は、一部地域を除いて、乾燥がちで、特に中央部より西にかけては、大きな砂漠が広がっています。砂漠といっても、皆さんの持っている岩や砂でおおわれていて草木も生えていないそういった砂漠ばかりではなく、アカシヤ科やユーカリ科の灌木やイネ科の草本が生えているところが多いのです。
しかし、もちろん非常に乾燥が進んでいて、アボリジニのように水の存在も含めて大地を知り尽くしている人びとにとっても厳しい環境であることはいうまでもありません。ましてや、ヨーロッパからやってきた人びとがオーストラリア奥地を探検し、開発していく際に、乾燥地に適応したラクダの存在は大きな意味を持っていました。
そこで、現在のアフガニスタンからラクダ使いとともにヒトコブラクダが導入されて、探検隊やその支援物資、後には、砂漠のオアシスに建設された開拓者のための町(あるいは居住地)への補給のために使われたのです。
やがて、道路の整備が進み、トラックが導入されるとラクダ使いやラクダは不要になり、ラクダたちはオーストラリアの砂漠で野生化していったのです。

ところが、ラクダは大型ですし、天敵である肉食獣はディンゴ(野生犬)以外にいません。そこで、どんどん繁殖して、人口が増え過ぎ、今やラクダによる食害、つまり、環境破壊が問題視されています。
ラクダ牧場が作られて、乗用のラクダを西アジアやアラビア半島に輸出したり、食肉として利用したりする動きがありますが、一方で、現在、殺処分が進んでいます。害獣扱いされているのです。

人間にとって好都合だからといって大陸を超えて移動させられ、利用価値がなくなったら、放り出されて野生化し、数が増えすぎたといって、その人口を管理しようとする、人間は勝手ですね。皆さんは、どう考えますか?

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私は8月1日に日本を出発してオーストラリアに旅立ちました。これから、何回か現地からの報告をしようと思います。すこし、難しくなるかもしれませんが、お許しください。

今回の調査旅行は、世界のほかの地域の先住民を研究する日本の人類学の仲間たちとともにオーストラリアの先住民であるアボリジニの町を訪ねます。その目的は、彼らの現状を視察してもらい、ほかの世界の人びととの比較を通じて、アボリジニに対する新たな視点を見いだそうというものです。
私たちは、この後、アボリジニを研究する豪日の研究者とのあいだで情報交換を行います。このプロジェクトは、昨年度も別の日本人の人類学者を招いて行われました。その成果は、いずれ、皆さんの目にも触れることになると思います。

さて、皆さんもアボリジニのことは教科書で学んでおられると思いますが、簡単におさらいしておきましょう。

アボリジニの人びとはオーストラリアの人口約2100万人のうち2パーセントにとどまります。しかし、オーストラリアへは、約5万年前、人類として初めて大陸に足跡を記しました。一方、ヨーロッパからの移民たちの歴史が始まったのは約220年前のことです。
「最初のオーストラリア人」であるアボリジニからすれば、とても最近のことであることはお分かりでしょう。「最初のオーストラリア人」であるアボリジニたちは、オーストラリアの大地の自然を理解し、自然のなかで狩猟採集生活を行ってきました。しかし、ヨーロッパからの移民が始まっていこう、オーストラリア社会の主流となったのは、「最初のオーストラリア人」であるアボリジニではなく、ヨーロッパ系の人びとでした。そうしたなかで、「最初のオーストラリア人」たちは、大変不幸な目にあってきています。独自の文化を捨てて、主流 社会の人びとへの同化が求められ、親たちと引き離された子供たちもあったのです。

主流社会のなかのマイノリティ(少数者)であるアボリジニたちは、世界やオーストラリア国内における政治状況に翻弄されてきたといえるでしょう。たとえば、世界でマイノリティへの尊重のながれがうまれると、彼らのひどい待遇は多少改善されることになりました。1968年のオーストラリアでの国民投票において、彼らのオーストラリア国民としての地位が確立されたのです。
しかし、それでもなお、彼らのおかれている厳しい状況は変わりません。むしろ、さらに厳しくなったといえるでしょう。たとえば、教育について取り上げてみましょう。オーストラリアの学校教育では中心となる言語は英語です。世界からの移民も同様ですが、アボリジニも元々、独自の言語を持っていた訳です。しかし、彼らが国民の権利としての義務教育を受けようとすると、英語による学習を受け入れなければなりません。オーストラリアの教育体制のなかで一時、バイリンガル教育が導入されていたこともあります。しかし、最近では、様々な事情から、バイリンガル教育が行われなくなってきています。
日常生活ではアボリジニたちは独自の言語を用いているのですが、学校では英語を使うことになります。もちろん、卒業して仕事を始めれば、英語が話せることは有利であることは確かです。だから、英語を学ぶことの重要性は高いのです。
ここで、日本のことについて、考えてみましょう。皆さん方は、日本語をどこでも使うことになれっこになっていて、場所に応じて言語を使い分けることの困難性は感じることはないと思います。しかし、学校では英語だけで学び、日本語は家族や地域の人たちとの会話でだけ使うという立場だったらどうでしょう。学校で学んだことを家に帰って家族の人たちと話そうとしても、もし、家族のなかに英語を理解しない人がいると共通の話題として学校の話を持ち出すことが困難になることがわかるでしょう。

だからといって、かわいそうな人びとであるので、彼らのおかれている状況を変えて、彼らの文化を守っていかなければならない、との見方だけで彼らの生活をとらえることはできないでしょう。もちろん、彼らのおかれている状況は 厳しいのですが、彼ら自身、芸術活動や環境保護、観光などに関連して、独自の活動を始めていて、これからも、注目していかなければならないと思います。
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