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椙山女学園大学 人間関係学部ブログ

2010 オープンキャンパス@NISSHIN
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ニュージーランドの最近のブログ記事

今日は、オークランド市の中心部から車で5分ほどのところにあるニュージーランドでも最大級のマラエ(マオリたちの集会場)に案内してもらいました。

この前にも書いたように、ニュージーランドの先住民であるマオリは白人たちが来る前、「白い雲がたなびく」アオテアロア(ニュージーランドのこと)各地で部族ごとに領域を持って生活していました。現在オークランドというニュージーランド最大の都市があるこの地には、ガティ・ファツア(Ngati Whatua)と自らを呼ぶ人びとが暮らしていました。しかし、後からやってきた人びとが増えるにつれて、彼らの土地は次第に狭められて、大都市となったオークランドの各所に点々と集落を作って暮らすようになっていました。
そうした生活拠点のひとつで、現在、オラケイ・ドメインと呼ばれているところに暮らしていたガティ・ファツア部族のうちのオラケイ氏族の人びとは、1970年代になって彼らの暮らす土地の権利を回復するために500日以上にわたって座り込みを続けたのです。200人以上の逮捕者を出しましたが、その後、かれらは、700エーカーにもおよぶ広大な土地について、主権を回復させることに成功しました。

以下の写真は、オラケイ氏族の回復した土地にたてられた記念すべきマラエ(集会場)です。ちょうど、近くの小学校の子供たちがマオリのことを学ぼうとこのマラエにやってきていました。マオリたちは、まだまだ不十分と考えているようですが、1980年代以降、土地権を含む様々な先住権を回復させてきました。マオリの人口は現在ニュージーランド人口の15%程度とされていますが、彼ら少数者、さらには、先住者の権利をしっかりと受け止めて考えて、社会のなかでどのように受け止めていくための対策を講じていくことが重要だと思います。
日本にも同様の問題がありますね。

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私は今、オークランド大学を訪問中ですが、先週土曜に当大学でもオープンキャンパスがあったそうです。

この大学は、学年は2学期制で、3月から第一学期が始まり、7月中旬から第二学期が始まります。いずれの学期も15週間からなり、うち、12週が授業があります。途中に「mid-semester break」があるのだそうで、この直前の1週間に中間試験があります。11月から2月という長い期間が夏休みですが、しかしこの間、「Summer School」というたくさんの授業が開かれるコースがあって、学生たちはこちらの授業も、別途受けることもできます。だから、3学期制のように授業を受ける学生もいるのでしょうが、でもたいがいは、この間、他大学生あるいは外国人学生をうけいれることになっているようです。

今週と来週は、第二学期の「mid-semester break」だそうで、先週の土曜にオープンキャンパスが開かれ、今週は、各高校からまとまって、相談のために生徒がやってくることになっていて、昨日今日は、制服を着た高校生たちでにぎわっていました。

以下の写真は、学生食堂とかたくさんのお店が入っている一角で、時間がずれたので、学生や生徒たちも少なくなってしまいました。

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わたしは、先週水曜にオーストラリアでの予定を終えて、タスマン海をこえてニュージーランドのオークランドにやってきました。オークランド大学のJames Henare Maori Research Centreに今週金曜午前まで滞在し、資料収集と情報交換を行う予定です。

皆さん、ニュージーランドにはマオリという先住民がいることを知っていますか?
マオリたちの祖先は、1000年ほど前に、カヌーに乗ってHawaikiと彼らが呼ぶ島からニュージーランド(彼らの言葉ではAotearoaといい、ニュージーランド国家の公式別名として使われています)にやってきました。現在では、かれらのいうHawaikiとは、ソサエティ諸島(Society Islands)であることがわかっています(ここにポリネシアの地図のリンクがあります。ソサエティ諸島は地図の中央、フレンチ・ポリネシアに含まれます。ニュージーランドとの位置関係をみてください)。かれらは、風の力と彼らの航海に関する知識によって、Aotearoa(白い雲のたなびく場所という意味だそうです)にたどり着き、また、Hawaikiとの間を往復して入植したのです。
マオリたちの国、Aotearoaに白人たちによって発見されたのは、1642年、オランダ人のアベル・タスマンによるとされています(オーストラリアとを隔てている海が彼の名前にちなんでタスマン海と名付けられているのですね)。つづいて、1769年イギリスのジェームズ・クックの船団がやってきて、その後、ヨーロッパ人たちがクジラ取りやアザラシ取りのためにやってきました。
その後、英仏の植民地拡大闘争のなかで、イギリス系の住民たちがマオリの首長と組んでイギリス国王の庇護のもとに入ることを選択したのが、1840年に締結されたワイタンギ条約でした。この条約を根拠にして、白人たちは植民地化を進めたのです。1860年から10年にわたるマオリ戦争が戦われますが、マオリは破れマオリたちの主権が奪われていきました。
20世紀に入るとマオリたちは「マオリ青年党」を結成して、ニュージーランド議会に議席を獲得するなど、権利復活の運動を始めます。また、第一次世界大戦や第二次世界大戦(太平洋戦争)にマオリたちも参軍して活躍するなど、次第に、地歩を固めていきます。1960年代になって、世界的なマイノリティの権利主張に応じて活動を強化し、マオリルネッサンス(マオリ復興運動)のなかでマオリによるマオリのためのマオリ学の構想がたてられて、現在ではニュージーランドではすべての大学にマオリ学部が設置されています。
また、1975年になって、マオリの権利喪失問題について主管するワイタンギ審判所がもうけられ、さらに、1985年にはワイタンギ条約の内容についてマオリに対する権利侵害を少なくするよう改めてワイタンギ条約法が修正され、その後、土地権や漁業権をめぐって、マオリたちの権利回復が進んでいます。

先週木曜、たまたまだったのですが、大学に設置されているMarae(マラエ:マオリの集会場で、当大学のマオリ学部に隣接して建設されています)で、オークランドの旅行学校の生徒たちがマオリについて学ぶクラスが開かれていましたので、参加してきました。
クラスの参加者の出身は多様で、ニュージーランドの白人、マオリ、フィジー島のインド系、韓国人などでした。この日のクラスは、マオリの重要な儀礼が行われるマラエの意義とか、マラエに入るための儀式を再現するとかいったものでした。ニュージーランドの観光産業は国民総生産の13%と大きく、マオリの文化は重要な観光資源なのです。生徒たちも真剣に学んでいました。


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