Sugiyama 人間になろう

椙山女学園大学 人間関係学部ブログ

2010 オープンキャンパス@NISSHIN
>> Home

異文化理解の最近のブログ記事

先週末(6月5ー6日)、留学生の結婚式に出席するために、上海に行ってきました。飛行時間は3時間、あっという間の旅でした。上海の町は万博の開催ということもあって、大勢のひとでにぎわっていました。

本学部及び大学院の課程を終えた留学生のSさんは、留学中に学んだ人間関係力と日本語を生かして、上海の翻訳会社で活躍しています。

P1040013_opt.jpg
P1040129_opt.jpg
pagetopへ戻る
今日は、オークランド市の中心部から車で5分ほどのところにあるニュージーランドでも最大級のマラエ(マオリたちの集会場)に案内してもらいました。

この前にも書いたように、ニュージーランドの先住民であるマオリは白人たちが来る前、「白い雲がたなびく」アオテアロア(ニュージーランドのこと)各地で部族ごとに領域を持って生活していました。現在オークランドというニュージーランド最大の都市があるこの地には、ガティ・ファツア(Ngati Whatua)と自らを呼ぶ人びとが暮らしていました。しかし、後からやってきた人びとが増えるにつれて、彼らの土地は次第に狭められて、大都市となったオークランドの各所に点々と集落を作って暮らすようになっていました。
そうした生活拠点のひとつで、現在、オラケイ・ドメインと呼ばれているところに暮らしていたガティ・ファツア部族のうちのオラケイ氏族の人びとは、1970年代になって彼らの暮らす土地の権利を回復するために500日以上にわたって座り込みを続けたのです。200人以上の逮捕者を出しましたが、その後、かれらは、700エーカーにもおよぶ広大な土地について、主権を回復させることに成功しました。

以下の写真は、オラケイ氏族の回復した土地にたてられた記念すべきマラエ(集会場)です。ちょうど、近くの小学校の子供たちがマオリのことを学ぼうとこのマラエにやってきていました。マオリたちは、まだまだ不十分と考えているようですが、1980年代以降、土地権を含む様々な先住権を回復させてきました。マオリの人口は現在ニュージーランド人口の15%程度とされていますが、彼ら少数者、さらには、先住者の権利をしっかりと受け止めて考えて、社会のなかでどのように受け止めていくための対策を講じていくことが重要だと思います。
日本にも同様の問題がありますね。

P1030346 (1 of 1).jpg
pagetopへ戻る
わたしは、先週水曜にオーストラリアでの予定を終えて、タスマン海をこえてニュージーランドのオークランドにやってきました。オークランド大学のJames Henare Maori Research Centreに今週金曜午前まで滞在し、資料収集と情報交換を行う予定です。

皆さん、ニュージーランドにはマオリという先住民がいることを知っていますか?
マオリたちの祖先は、1000年ほど前に、カヌーに乗ってHawaikiと彼らが呼ぶ島からニュージーランド(彼らの言葉ではAotearoaといい、ニュージーランド国家の公式別名として使われています)にやってきました。現在では、かれらのいうHawaikiとは、ソサエティ諸島(Society Islands)であることがわかっています(ここにポリネシアの地図のリンクがあります。ソサエティ諸島は地図の中央、フレンチ・ポリネシアに含まれます。ニュージーランドとの位置関係をみてください)。かれらは、風の力と彼らの航海に関する知識によって、Aotearoa(白い雲のたなびく場所という意味だそうです)にたどり着き、また、Hawaikiとの間を往復して入植したのです。
マオリたちの国、Aotearoaに白人たちによって発見されたのは、1642年、オランダ人のアベル・タスマンによるとされています(オーストラリアとを隔てている海が彼の名前にちなんでタスマン海と名付けられているのですね)。つづいて、1769年イギリスのジェームズ・クックの船団がやってきて、その後、ヨーロッパ人たちがクジラ取りやアザラシ取りのためにやってきました。
その後、英仏の植民地拡大闘争のなかで、イギリス系の住民たちがマオリの首長と組んでイギリス国王の庇護のもとに入ることを選択したのが、1840年に締結されたワイタンギ条約でした。この条約を根拠にして、白人たちは植民地化を進めたのです。1860年から10年にわたるマオリ戦争が戦われますが、マオリは破れマオリたちの主権が奪われていきました。
20世紀に入るとマオリたちは「マオリ青年党」を結成して、ニュージーランド議会に議席を獲得するなど、権利復活の運動を始めます。また、第一次世界大戦や第二次世界大戦(太平洋戦争)にマオリたちも参軍して活躍するなど、次第に、地歩を固めていきます。1960年代になって、世界的なマイノリティの権利主張に応じて活動を強化し、マオリルネッサンス(マオリ復興運動)のなかでマオリによるマオリのためのマオリ学の構想がたてられて、現在ではニュージーランドではすべての大学にマオリ学部が設置されています。
また、1975年になって、マオリの権利喪失問題について主管するワイタンギ審判所がもうけられ、さらに、1985年にはワイタンギ条約の内容についてマオリに対する権利侵害を少なくするよう改めてワイタンギ条約法が修正され、その後、土地権や漁業権をめぐって、マオリたちの権利回復が進んでいます。

先週木曜、たまたまだったのですが、大学に設置されているMarae(マラエ:マオリの集会場で、当大学のマオリ学部に隣接して建設されています)で、オークランドの旅行学校の生徒たちがマオリについて学ぶクラスが開かれていましたので、参加してきました。
クラスの参加者の出身は多様で、ニュージーランドの白人、マオリ、フィジー島のインド系、韓国人などでした。この日のクラスは、マオリの重要な儀礼が行われるマラエの意義とか、マラエに入るための儀式を再現するとかいったものでした。ニュージーランドの観光産業は国民総生産の13%と大きく、マオリの文化は重要な観光資源なのです。生徒たちも真剣に学んでいました。


P1030238 (1 of 1).jpg
pagetopへ戻る

最近のブログ記事

アーカイブ

その他お知らせなど

椙山女学園大学 人間関係学部 日進キャンパス画像
椙山女学園大学 人間関係学部
〒470-0131 愛知県日進市岩崎町竹ノ山37-234 TEL(0561)74-1186(代) FAX(0561)74-4443
(c)2009 School of Human Sciences, Sugiyama Jogakuen University
Powered by Movable Type