Sugiyama 人間になろう

椙山女学園大学 人間関係学部ブログ

>> Home

2009年8月アーカイブ

わたしは、先週水曜にオーストラリアでの予定を終えて、タスマン海をこえてニュージーランドのオークランドにやってきました。オークランド大学のJames Henare Maori Research Centreに今週金曜午前まで滞在し、資料収集と情報交換を行う予定です。

皆さん、ニュージーランドにはマオリという先住民がいることを知っていますか?
マオリたちの祖先は、1000年ほど前に、カヌーに乗ってHawaikiと彼らが呼ぶ島からニュージーランド(彼らの言葉ではAotearoaといい、ニュージーランド国家の公式別名として使われています)にやってきました。現在では、かれらのいうHawaikiとは、ソサエティ諸島(Society Islands)であることがわかっています(ここにポリネシアの地図のリンクがあります。ソサエティ諸島は地図の中央、フレンチ・ポリネシアに含まれます。ニュージーランドとの位置関係をみてください)。かれらは、風の力と彼らの航海に関する知識によって、Aotearoa(白い雲のたなびく場所という意味だそうです)にたどり着き、また、Hawaikiとの間を往復して入植したのです。
マオリたちの国、Aotearoaに白人たちによって発見されたのは、1642年、オランダ人のアベル・タスマンによるとされています(オーストラリアとを隔てている海が彼の名前にちなんでタスマン海と名付けられているのですね)。つづいて、1769年イギリスのジェームズ・クックの船団がやってきて、その後、ヨーロッパ人たちがクジラ取りやアザラシ取りのためにやってきました。
その後、英仏の植民地拡大闘争のなかで、イギリス系の住民たちがマオリの首長と組んでイギリス国王の庇護のもとに入ることを選択したのが、1840年に締結されたワイタンギ条約でした。この条約を根拠にして、白人たちは植民地化を進めたのです。1860年から10年にわたるマオリ戦争が戦われますが、マオリは破れマオリたちの主権が奪われていきました。
20世紀に入るとマオリたちは「マオリ青年党」を結成して、ニュージーランド議会に議席を獲得するなど、権利復活の運動を始めます。また、第一次世界大戦や第二次世界大戦(太平洋戦争)にマオリたちも参軍して活躍するなど、次第に、地歩を固めていきます。1960年代になって、世界的なマイノリティの権利主張に応じて活動を強化し、マオリルネッサンス(マオリ復興運動)のなかでマオリによるマオリのためのマオリ学の構想がたてられて、現在ではニュージーランドではすべての大学にマオリ学部が設置されています。
また、1975年になって、マオリの権利喪失問題について主管するワイタンギ審判所がもうけられ、さらに、1985年にはワイタンギ条約の内容についてマオリに対する権利侵害を少なくするよう改めてワイタンギ条約法が修正され、その後、土地権や漁業権をめぐって、マオリたちの権利回復が進んでいます。

先週木曜、たまたまだったのですが、大学に設置されているMarae(マラエ:マオリの集会場で、当大学のマオリ学部に隣接して建設されています)で、オークランドの旅行学校の生徒たちがマオリについて学ぶクラスが開かれていましたので、参加してきました。
クラスの参加者の出身は多様で、ニュージーランドの白人、マオリ、フィジー島のインド系、韓国人などでした。この日のクラスは、マオリの重要な儀礼が行われるマラエの意義とか、マラエに入るための儀式を再現するとかいったものでした。ニュージーランドの観光産業は国民総生産の13%と大きく、マオリの文化は重要な観光資源なのです。生徒たちも真剣に学んでいました。


P1030238 (1 of 1).jpg
pagetopへ戻る

4年生が所属する加藤容子卒論ゼミでは,8月24日から26日に合宿を行いました。

 

大学の学修方法としては,受身的に学ぶだけでなく,自分の意見や関心をもとに能動的に学ぶことが大きな特徴となっています。卒業論文はその集大成ともいえるもので,学生は自分の研究したいテーマを設定し,それに関して文献を調べたり,実際にデータをとって調査・実験を行ったりして,1年間かけて論文をまとめます。

 

今年のゼミ学生のテーマは,「女子大学生の職業選択」「教師のストレス」「中学生の精神的健康」「自己開示」「児童養護施設の社会的イメージ」などの予定です。学生は7月までの前期授業期間に,それぞれのテーマに沿って,問題意識を明確にする作業を進めてきました。合宿ではそれを文章化し,調査をする方法を決めたり,アンケート用紙を作成したりしました。

 

ふだんは自宅や図書館でひとりで作業を進めることが多いものですが,合宿ではみんなで一緒に机に向かうことで,助けあったり励ましあったり,また刺激をしあったりしながら,効果的に作業を進められたと思います。 

ついでに,一緒にご飯を食べたりおしゃべりしたり,遊びに行ったりして,学生同士の交流,学生と教員の交流も深まりました。

 

卒業論文は最終的にはひとりの作業になりますが,学生が築いた仲間関係はその作業を支える力強いサポートになるでしょう。

人間関係学部では,人間関係の力を用いて,人間関係についての勉強を深めることができると,改めて実感しました。

pagetopへ戻る

moon illusion

| トラックバック(0)
 8月22日のオープンキャンパス。心理学科では恒例の実験デモンストレーションを行いました。とくに高校生の関心を惹いたのは、鏡映描写(鏡を見ながら迷路をたどる実験)、逆さメガネ(プリズムで上下逆転がされた世界で行動できるか)、それに各種の錯視現象でした。これらの実験の意味は心理学の専門科目でそれぞれ触れるとして、ここでは「月の錯視moon illusion」の話を。
 アリストテレスの時代から、地平に沈む月が大きく見えることはよく知られていました。映画「E.T.」で、巨大な月の前を横切る自転車のシーンを覚えている人も多いでしょう。月の錯視は天体を舞台にしたじつにダイナミックで不思議な現象なのですが、じつはいまだに明確に解決されたといえる錯視ではないのです。
 月の大きさの視直径はおよそ31分。手を伸ばして持った5円玉(金銭的に余裕のある人は50円玉でもOK)の穴の大きさに等しい。だから、山の端にかかった、すごく大きく見える月に5円玉を重ねてみると、驚くべきことにちょうど穴の中に入る!この不思議が「千古の謎」と言われてきた所以なのです。
 アリストテレスやプトレマイオスがこの問題を考え出して以来、月の錯視に関する仮説は20以上も提案されていますが、どうやら月をどこの距離で知覚しているか、知覚された大きさと距離の関係という複雑な問題が絡んでいるのです。 
 満月の下にいると、とくに誰かとふたりでいると、ロマンティックにもルナティックにもなるようですが、そうなる前に一度、5円玉を取り出して、意外な「見かけの大きさ」を測ってみませんか。ちなみに今年残りの満月は、9月5日、10月4日、11月3日、そして12月2日です。寒くなるので野外活動の際は風邪を引かないように十分気をつけて。

pagetopへ戻る

 本日8月22日、第2回のオープンキャンパスが行われました。日進キャンパスには、361名(うち生徒260名)の来場がありました。
学科説明会、模擬授業、学科展示、学科企画、個別相談会、AO相談会など、それぞれの企画において、教員・職員・学部学生・大学院生がより詳しく学部を知ってもらうようにと熱心に対応しました。学部パンフレットでは十分に表せない学部のさらなる魅力を伝えることができたように思います。

 

 

 

pagetopへ戻る
オーストラリアには、国公私あわせて40の大学があります(大学の一覧はこちら)。いずれの大学でも、積極的に留学生を受け入れています。在日オーストラリア大使館でも留学生(短期長期、学部、大学院を含めたもの)のプロモーションを積極的に行い、情報提供をしています。今年の留学生フェアは既に終わりましたが、日本の主要都市で実施されています(その情報はこちら)。

いま、首都のキャンベラに滞在して、昨日もオーストラリア国立大学でのワークショップに出席したので、当大学を例に留学生事情を少し紹介してみましょう。「インターナショナル・オフィス」という窓口で、留学生を扱っていて、そのウェブページは、こちらですが、これをみると留学のための情報や学生生活について、あるいは、奨学金についても触れられていて、かなりの情報をウェブサイトからも得ることができると思います。
広大なキャンパスを歩いているとアジアからの留学生をよく見かけますが、当大学が公開している資料を見ると、2007年の留学生の割合は24%で、5年前の2002年が15%であったので当時は、七分の一ほどであったものが、2007年には、学生の四分の一は留学生ということになります。多いですね。これは、オーストラリアの国家としての方針として、各大学は自助努力で学費収入を増やすことが義務づけられ、そのためにも、自国の学生だけではなく、留学生を増やそうとしているという事情があります。
しかし、同時に、オーストラリアという移民で成り立っている国家にとってもメリットがあるように思われます。つまり、自前で養成した留学生が学力や技術を身につけて出身国に帰るだけでなく、留学から移民へとステータスを変更してくれればこれまた望ましいことだと思われます。もちろん、大学自体、多様な社会文化を背景とする留学生を受け入れることにより、自国学生のカリキュラム外の多文化教育としても役立つことはいうまでもありません。

人間関係学部では1998年以来、毎年、シドニー大学ウィメンズ・カレジにおける4週間の海外研修を実施しており(今年は、新型インフルエンザの影響で中止となりましたが)、学生は短期間ではありますが、オーストラリアでの異文化体験を試してみることができます。
pagetopへ戻る
わたしは、いま、中央砂漠の中心の町、アリススプリングスにいますが、昼前の便で、キャンベラに行き、明日、オーストラリア国立大学でのワークショップに参加します。
たまたまですが、来週の土曜日にオーストラリア国立大学のオープンキャンパス(当地では、オープンデイと呼ばれています)が開催されます。その様子を伝えるウェブページを見つけましたので、以下にリンクを張っておきます。 和服をきた学生の写真がありますね。オーストラリア国立大学には、たくさんの留学生が在学しています。きっと、それぞれの出身国や学んでいる地域についての発表なども行われるのでしょうね。

オーストラリア国立大学のオープンキャンパス(オープンデイ)
pagetopへ戻る
今回の旅で見かけた野生化したラクダの群れです。彼らは、ヒトコブラクダ。
でも、みなさん、知っていますか?ヒトコブラクダは西アジア原産でアラビア半島や北アフリカで飼育されていて、野生のヒトコブラクダは現存していません。それが、なぜ、オーストラリアに?
じつは、野生のラクダはオーストラリアにしかいません。ただし、彼らも何世代か前は飼育されていました。では、なぜか。

オーストラリアの大地は、元々アボリジニたちがすんでいて、そこにヨーロッパからの移民たちによって、知られるようになりました。オーストラリア大陸は、一部地域を除いて、乾燥がちで、特に中央部より西にかけては、大きな砂漠が広がっています。砂漠といっても、皆さんの持っている岩や砂でおおわれていて草木も生えていないそういった砂漠ばかりではなく、アカシヤ科やユーカリ科の灌木やイネ科の草本が生えているところが多いのです。
しかし、もちろん非常に乾燥が進んでいて、アボリジニのように水の存在も含めて大地を知り尽くしている人びとにとっても厳しい環境であることはいうまでもありません。ましてや、ヨーロッパからやってきた人びとがオーストラリア奥地を探検し、開発していく際に、乾燥地に適応したラクダの存在は大きな意味を持っていました。
そこで、現在のアフガニスタンからラクダ使いとともにヒトコブラクダが導入されて、探検隊やその支援物資、後には、砂漠のオアシスに建設された開拓者のための町(あるいは居住地)への補給のために使われたのです。
やがて、道路の整備が進み、トラックが導入されるとラクダ使いやラクダは不要になり、ラクダたちはオーストラリアの砂漠で野生化していったのです。

ところが、ラクダは大型ですし、天敵である肉食獣はディンゴ(野生犬)以外にいません。そこで、どんどん繁殖して、人口が増え過ぎ、今やラクダによる食害、つまり、環境破壊が問題視されています。
ラクダ牧場が作られて、乗用のラクダを西アジアやアラビア半島に輸出したり、食肉として利用したりする動きがありますが、一方で、現在、殺処分が進んでいます。害獣扱いされているのです。

人間にとって好都合だからといって大陸を超えて移動させられ、利用価値がなくなったら、放り出されて野生化し、数が増えすぎたといって、その人口を管理しようとする、人間は勝手ですね。皆さんは、どう考えますか?

P1030119 (1 of 1).jpg

pagetopへ戻る
私は8月1日に日本を出発してオーストラリアに旅立ちました。これから、何回か現地からの報告をしようと思います。すこし、難しくなるかもしれませんが、お許しください。

今回の調査旅行は、世界のほかの地域の先住民を研究する日本の人類学の仲間たちとともにオーストラリアの先住民であるアボリジニの町を訪ねます。その目的は、彼らの現状を視察してもらい、ほかの世界の人びととの比較を通じて、アボリジニに対する新たな視点を見いだそうというものです。
私たちは、この後、アボリジニを研究する豪日の研究者とのあいだで情報交換を行います。このプロジェクトは、昨年度も別の日本人の人類学者を招いて行われました。その成果は、いずれ、皆さんの目にも触れることになると思います。

さて、皆さんもアボリジニのことは教科書で学んでおられると思いますが、簡単におさらいしておきましょう。

アボリジニの人びとはオーストラリアの人口約2100万人のうち2パーセントにとどまります。しかし、オーストラリアへは、約5万年前、人類として初めて大陸に足跡を記しました。一方、ヨーロッパからの移民たちの歴史が始まったのは約220年前のことです。
「最初のオーストラリア人」であるアボリジニからすれば、とても最近のことであることはお分かりでしょう。「最初のオーストラリア人」であるアボリジニたちは、オーストラリアの大地の自然を理解し、自然のなかで狩猟採集生活を行ってきました。しかし、ヨーロッパからの移民が始まっていこう、オーストラリア社会の主流となったのは、「最初のオーストラリア人」であるアボリジニではなく、ヨーロッパ系の人びとでした。そうしたなかで、「最初のオーストラリア人」たちは、大変不幸な目にあってきています。独自の文化を捨てて、主流 社会の人びとへの同化が求められ、親たちと引き離された子供たちもあったのです。

主流社会のなかのマイノリティ(少数者)であるアボリジニたちは、世界やオーストラリア国内における政治状況に翻弄されてきたといえるでしょう。たとえば、世界でマイノリティへの尊重のながれがうまれると、彼らのひどい待遇は多少改善されることになりました。1968年のオーストラリアでの国民投票において、彼らのオーストラリア国民としての地位が確立されたのです。
しかし、それでもなお、彼らのおかれている厳しい状況は変わりません。むしろ、さらに厳しくなったといえるでしょう。たとえば、教育について取り上げてみましょう。オーストラリアの学校教育では中心となる言語は英語です。世界からの移民も同様ですが、アボリジニも元々、独自の言語を持っていた訳です。しかし、彼らが国民の権利としての義務教育を受けようとすると、英語による学習を受け入れなければなりません。オーストラリアの教育体制のなかで一時、バイリンガル教育が導入されていたこともあります。しかし、最近では、様々な事情から、バイリンガル教育が行われなくなってきています。
日常生活ではアボリジニたちは独自の言語を用いているのですが、学校では英語を使うことになります。もちろん、卒業して仕事を始めれば、英語が話せることは有利であることは確かです。だから、英語を学ぶことの重要性は高いのです。
ここで、日本のことについて、考えてみましょう。皆さん方は、日本語をどこでも使うことになれっこになっていて、場所に応じて言語を使い分けることの困難性は感じることはないと思います。しかし、学校では英語だけで学び、日本語は家族や地域の人たちとの会話でだけ使うという立場だったらどうでしょう。学校で学んだことを家に帰って家族の人たちと話そうとしても、もし、家族のなかに英語を理解しない人がいると共通の話題として学校の話を持ち出すことが困難になることがわかるでしょう。

だからといって、かわいそうな人びとであるので、彼らのおかれている状況を変えて、彼らの文化を守っていかなければならない、との見方だけで彼らの生活をとらえることはできないでしょう。もちろん、彼らのおかれている状況は 厳しいのですが、彼ら自身、芸術活動や環境保護、観光などに関連して、独自の活動を始めていて、これからも、注目していかなければならないと思います。
pagetopへ戻る

 8月1日,2008年度加藤容子卒論ゼミの卒業生が数名集まりました。卒業してもときどき会って,仕事での戸惑いや楽しさを共有したり,大学生活の思い出話に花を咲かせる,良い仲間です。

 今回の集まりの中で,「大学生活で印象的だったことは?」と尋ねたら,「自分の興味のあることは,どんどん授業を受けて勉強できたのが楽しかった!」「卒論は,自分の"これは大事にしたい"という思いを貫いて,それが形になったので,面白かった」「自分ひとりではできないこともあって,周りに助けを求めることも大事だということが分かった」などと話してくれました。

 仕事ではそれぞれ大変なこともあるようですが,「分からないことがあっても,それを上司や先輩にちゃんと伝えると,教えてもらえて仕事がスムーズに動く」「相手にFAXを1枚渡すときでも,"**さんFAXです"と名前を呼びかけると,うまくいくみたい」など,さっそく人間関係力を使って活躍しているようでした。

 楽しく過ごした帰り道には,「みんなと話すと元気になる」「みんな単に大変だと言うだけじゃなくて,いろいろ考えたり前向きに工夫していて,そんな仲間がいるのが嬉しい」と,大学生活で得た仲間関係の大切さをしみじみ感じました。

pagetopへ戻る

前期定期試験も終了し、8月の校舎は静かです。

 

7月、学生のみなさんにとっては試験やレポート作成など前期の学びを振り返る時期、複数の卒業生が訪ねて来て研究室はにぎやかでした。さまざまな年齢の卒業生たちの近況報告、学生時代の授業やもろもろの思い出話に花が咲きました。

 

「今日は仕事が休みで時間ができたので来ました」から始まり、「大学の周りが変わっててビックリした」「学生さんたちが元気で若い」「先生たち変わってない」「学生時代に戻りたいと思うけど、今は今で楽しい」「いま授業を受けたら、学生のときとは違って、もっとためになると思う」などそれぞれに大学時代を振り返っていました。それと同時に、大学時代より成長したじぶんを感じたことと思います。卒業しても学び舎をひょっこり訪ねて来てくれることはうれしことです。人とのつながり、大事ですね。

 

さて、大学では毎年10月の大学祭で「椙山ホームカミングデイ」を開催しています。

卒業しても、みなさんの「ただいま」を歓迎します。

 

 

 

pagetopへ戻る

最近のブログ記事

アーカイブ

その他お知らせなど

椙山女学園大学 人間関係学部 日進キャンパス画像
椙山女学園大学 人間関係学部
〒470-0136 日進市竹の山3-2005 TEL(0561)74-1186(代) FAX(0561)73-4443
(c)2009 School of Human Sciences, Sugiyama Jogakuen University
Powered by Movable Type