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椙山女学園大学 人間関係学部ブログ

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新年明けましておめでとうございます。今年もまた、交代でこのブログに投稿していきますので、ご期待ください。

さて、昨2009年8月20日に「オーストラリアからの便り(2):野生ラクダの話」として、オーストラリアの野生ラクダについて書いたのですが、その後起きたことについて、報告しておきましょう。
昨年12月3日のABC(オーストラリアの放送局)のウェブニュースで、ノーザンテリトリー政府が中央砂漠の所定の地域に、12月7日から1週間航空機の立ち入りを禁じていいます。これは、3000頭の野生ラクダをヘリコプターを使って射殺して駆除するためです。こうした事態になったのは、11月25日のABCがつたえるウェブニュースによると、6000頭もの野生ラクダが中央砂漠のドッカー・リバーという町に干ばつのために水を求めて押し寄せ、水道施設などを破壊したという、事件によっています。
じつは、それまでも、天敵のいない野生ラクダの人口が増加して、植生に被害を及ぼしているので、人口抑制の必要や野生ラクダの資源化などについて議論が行われていました。
しかし、今回の事件は、駆除をしようというところまで飛躍したわけで、ヨーロッパの動物保護活動家などは、野蛮な行いであると強く非難し、オーストラリアへの旅行をボイコットするようにとの呼びかけも行われたとのことです。しかし、駆除後、大きな動きは少なくともインターネットの上では起きていないように思われます。

先にも書きましたが、オーストラリアのラクダは、もともと、中東から輸入されたもので、オーストラリアの固有の動物ではありません。オーストラリア内陸部の探検や開発のための資材の運搬手段として、ラクダ使いとともに19世紀中ごろ導入されたのでした。しかし、道路や鉄道の整備によって、不要となり、少なくとも1930年代ごろまでにはラクダは不要となり、野に放たれ野生化したのです。これが、オーストラリアの野生ラクダの起源ということになります。
最近では、観光用に乗用のラクダを飼育したり、中東に競走用のラクダを輸出したり、また、食用にするために牧場が開かれるという資源化の動きが見られたのですが、それよりも、環境負荷の主張が強く、ラクダ人口の抑制が緊急課題となっていたのです。

こうした問題を解決するためにはおそらく広範な議論が必要とされるはずで、一気に駆除をするというのは、相当飛躍があると思うのですが、いかがでしょうか。


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今日は、オークランド市の中心部から車で5分ほどのところにあるニュージーランドでも最大級のマラエ(マオリたちの集会場)に案内してもらいました。

この前にも書いたように、ニュージーランドの先住民であるマオリは白人たちが来る前、「白い雲がたなびく」アオテアロア(ニュージーランドのこと)各地で部族ごとに領域を持って生活していました。現在オークランドというニュージーランド最大の都市があるこの地には、ガティ・ファツア(Ngati Whatua)と自らを呼ぶ人びとが暮らしていました。しかし、後からやってきた人びとが増えるにつれて、彼らの土地は次第に狭められて、大都市となったオークランドの各所に点々と集落を作って暮らすようになっていました。
そうした生活拠点のひとつで、現在、オラケイ・ドメインと呼ばれているところに暮らしていたガティ・ファツア部族のうちのオラケイ氏族の人びとは、1970年代になって彼らの暮らす土地の権利を回復するために500日以上にわたって座り込みを続けたのです。200人以上の逮捕者を出しましたが、その後、かれらは、700エーカーにもおよぶ広大な土地について、主権を回復させることに成功しました。

以下の写真は、オラケイ氏族の回復した土地にたてられた記念すべきマラエ(集会場)です。ちょうど、近くの小学校の子供たちがマオリのことを学ぼうとこのマラエにやってきていました。マオリたちは、まだまだ不十分と考えているようですが、1980年代以降、土地権を含む様々な先住権を回復させてきました。マオリの人口は現在ニュージーランド人口の15%程度とされていますが、彼ら少数者、さらには、先住者の権利をしっかりと受け止めて考えて、社会のなかでどのように受け止めていくための対策を講じていくことが重要だと思います。
日本にも同様の問題がありますね。

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moon illusion

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 8月22日のオープンキャンパス。心理学科では恒例の実験デモンストレーションを行いました。とくに高校生の関心を惹いたのは、鏡映描写(鏡を見ながら迷路をたどる実験)、逆さメガネ(プリズムで上下逆転がされた世界で行動できるか)、それに各種の錯視現象でした。これらの実験の意味は心理学の専門科目でそれぞれ触れるとして、ここでは「月の錯視moon illusion」の話を。
 アリストテレスの時代から、地平に沈む月が大きく見えることはよく知られていました。映画「E.T.」で、巨大な月の前を横切る自転車のシーンを覚えている人も多いでしょう。月の錯視は天体を舞台にしたじつにダイナミックで不思議な現象なのですが、じつはいまだに明確に解決されたといえる錯視ではないのです。
 月の大きさの視直径はおよそ31分。手を伸ばして持った5円玉(金銭的に余裕のある人は50円玉でもOK)の穴の大きさに等しい。だから、山の端にかかった、すごく大きく見える月に5円玉を重ねてみると、驚くべきことにちょうど穴の中に入る!この不思議が「千古の謎」と言われてきた所以なのです。
 アリストテレスやプトレマイオスがこの問題を考え出して以来、月の錯視に関する仮説は20以上も提案されていますが、どうやら月をどこの距離で知覚しているか、知覚された大きさと距離の関係という複雑な問題が絡んでいるのです。 
 満月の下にいると、とくに誰かとふたりでいると、ロマンティックにもルナティックにもなるようですが、そうなる前に一度、5円玉を取り出して、意外な「見かけの大きさ」を測ってみませんか。ちなみに今年残りの満月は、9月5日、10月4日、11月3日、そして12月2日です。寒くなるので野外活動の際は風邪を引かないように十分気をつけて。

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今回の旅で見かけた野生化したラクダの群れです。彼らは、ヒトコブラクダ。
でも、みなさん、知っていますか?ヒトコブラクダは西アジア原産でアラビア半島や北アフリカで飼育されていて、野生のヒトコブラクダは現存していません。それが、なぜ、オーストラリアに?
じつは、野生のラクダはオーストラリアにしかいません。ただし、彼らも何世代か前は飼育されていました。では、なぜか。

オーストラリアの大地は、元々アボリジニたちがすんでいて、そこにヨーロッパからの移民たちによって、知られるようになりました。オーストラリア大陸は、一部地域を除いて、乾燥がちで、特に中央部より西にかけては、大きな砂漠が広がっています。砂漠といっても、皆さんの持っている岩や砂でおおわれていて草木も生えていないそういった砂漠ばかりではなく、アカシヤ科やユーカリ科の灌木やイネ科の草本が生えているところが多いのです。
しかし、もちろん非常に乾燥が進んでいて、アボリジニのように水の存在も含めて大地を知り尽くしている人びとにとっても厳しい環境であることはいうまでもありません。ましてや、ヨーロッパからやってきた人びとがオーストラリア奥地を探検し、開発していく際に、乾燥地に適応したラクダの存在は大きな意味を持っていました。
そこで、現在のアフガニスタンからラクダ使いとともにヒトコブラクダが導入されて、探検隊やその支援物資、後には、砂漠のオアシスに建設された開拓者のための町(あるいは居住地)への補給のために使われたのです。
やがて、道路の整備が進み、トラックが導入されるとラクダ使いやラクダは不要になり、ラクダたちはオーストラリアの砂漠で野生化していったのです。

ところが、ラクダは大型ですし、天敵である肉食獣はディンゴ(野生犬)以外にいません。そこで、どんどん繁殖して、人口が増え過ぎ、今やラクダによる食害、つまり、環境破壊が問題視されています。
ラクダ牧場が作られて、乗用のラクダを西アジアやアラビア半島に輸出したり、食肉として利用したりする動きがありますが、一方で、現在、殺処分が進んでいます。害獣扱いされているのです。

人間にとって好都合だからといって大陸を超えて移動させられ、利用価値がなくなったら、放り出されて野生化し、数が増えすぎたといって、その人口を管理しようとする、人間は勝手ですね。皆さんは、どう考えますか?

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私は8月1日に日本を出発してオーストラリアに旅立ちました。これから、何回か現地からの報告をしようと思います。すこし、難しくなるかもしれませんが、お許しください。

今回の調査旅行は、世界のほかの地域の先住民を研究する日本の人類学の仲間たちとともにオーストラリアの先住民であるアボリジニの町を訪ねます。その目的は、彼らの現状を視察してもらい、ほかの世界の人びととの比較を通じて、アボリジニに対する新たな視点を見いだそうというものです。
私たちは、この後、アボリジニを研究する豪日の研究者とのあいだで情報交換を行います。このプロジェクトは、昨年度も別の日本人の人類学者を招いて行われました。その成果は、いずれ、皆さんの目にも触れることになると思います。

さて、皆さんもアボリジニのことは教科書で学んでおられると思いますが、簡単におさらいしておきましょう。

アボリジニの人びとはオーストラリアの人口約2100万人のうち2パーセントにとどまります。しかし、オーストラリアへは、約5万年前、人類として初めて大陸に足跡を記しました。一方、ヨーロッパからの移民たちの歴史が始まったのは約220年前のことです。
「最初のオーストラリア人」であるアボリジニからすれば、とても最近のことであることはお分かりでしょう。「最初のオーストラリア人」であるアボリジニたちは、オーストラリアの大地の自然を理解し、自然のなかで狩猟採集生活を行ってきました。しかし、ヨーロッパからの移民が始まっていこう、オーストラリア社会の主流となったのは、「最初のオーストラリア人」であるアボリジニではなく、ヨーロッパ系の人びとでした。そうしたなかで、「最初のオーストラリア人」たちは、大変不幸な目にあってきています。独自の文化を捨てて、主流 社会の人びとへの同化が求められ、親たちと引き離された子供たちもあったのです。

主流社会のなかのマイノリティ(少数者)であるアボリジニたちは、世界やオーストラリア国内における政治状況に翻弄されてきたといえるでしょう。たとえば、世界でマイノリティへの尊重のながれがうまれると、彼らのひどい待遇は多少改善されることになりました。1968年のオーストラリアでの国民投票において、彼らのオーストラリア国民としての地位が確立されたのです。
しかし、それでもなお、彼らのおかれている厳しい状況は変わりません。むしろ、さらに厳しくなったといえるでしょう。たとえば、教育について取り上げてみましょう。オーストラリアの学校教育では中心となる言語は英語です。世界からの移民も同様ですが、アボリジニも元々、独自の言語を持っていた訳です。しかし、彼らが国民の権利としての義務教育を受けようとすると、英語による学習を受け入れなければなりません。オーストラリアの教育体制のなかで一時、バイリンガル教育が導入されていたこともあります。しかし、最近では、様々な事情から、バイリンガル教育が行われなくなってきています。
日常生活ではアボリジニたちは独自の言語を用いているのですが、学校では英語を使うことになります。もちろん、卒業して仕事を始めれば、英語が話せることは有利であることは確かです。だから、英語を学ぶことの重要性は高いのです。
ここで、日本のことについて、考えてみましょう。皆さん方は、日本語をどこでも使うことになれっこになっていて、場所に応じて言語を使い分けることの困難性は感じることはないと思います。しかし、学校では英語だけで学び、日本語は家族や地域の人たちとの会話でだけ使うという立場だったらどうでしょう。学校で学んだことを家に帰って家族の人たちと話そうとしても、もし、家族のなかに英語を理解しない人がいると共通の話題として学校の話を持ち出すことが困難になることがわかるでしょう。

だからといって、かわいそうな人びとであるので、彼らのおかれている状況を変えて、彼らの文化を守っていかなければならない、との見方だけで彼らの生活をとらえることはできないでしょう。もちろん、彼らのおかれている状況は 厳しいのですが、彼ら自身、芸術活動や環境保護、観光などに関連して、独自の活動を始めていて、これからも、注目していかなければならないと思います。
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