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先輩たちの近況の最近のブログ記事

南部アフリカのナミビア共和国に住むオバンボ族の社会生活について、特にポスト・アパルトヘイト世代の若者のアイデンティティ形成と社会関係という観点から調査研究をしている山川早弓さん(3期生、英国マンチェスター大学)が帰国して、「文化人類学」の講義の中でその一部を紹介してくれたので報告したいと思います。


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オバンボの人々の住む南部アフリカのナミビア共和国は、アフリカ地域でも最後に独立した国で、長く植民地支配のもとに置かれていました。また、キリスト教の浸透も合わせて、新しい慣習の誕生や、慣習の「伝統化」など、実践/概念の両面で社会生活に大きな変化がもたらされました。
例えば、オバンボの人々の女性通過儀礼は、キリスト教宣教師団に禁止された一方で、植民地政府からは統治上の巧みな策略によりオバンボの「伝統」という付加価値を与えられました。
キリスト教化が進みにつれ、女性の通過儀礼の替わりに教会での結婚式が一般的な慣習として行われるようになりましたが、通過儀礼の一環であった何日間にも及ぶお祝いの部分はそのまま継続されました。教会での式と以前から続く祝宴全てを併せた新しい通過儀礼形態ができあがっていき、現在では「伝統」の一つだと位置付けられています。また、これらの変化により、男女が同じ儀礼を通して成人という社会的立場を与えられるようになったことも注目すべき点です。若者たちは、こうした新たな「伝統」とその継続的な変化への関与を通じて、アイデンティティの再確認/再構築を行っているのです。

考えてみると、日本社会の成人式にしても結婚式にしても、少なくとも、明治以降大きく変わり続けてきたことは明らかです。たとえば、成人式は最近では行政などの地域が主催しているわけですが、元々は、家や一族によって担われていたものでした。1 月15日(2000年より1月の第一月曜日)が成人式とされるようになったのは、太平洋戦争後のことです。むしろ、新しく創造された伝統であるのです。
また、結婚式にしても、少なくとも、明治以前の人々の結婚式は、人前婚(宴をはって、近所の人を招いて、固めの杯をかわすもの)であって、神の前で結婚を誓うという形式はありませんでした。明治以降になってキリスト教の禁教がとかれて、キリスト教の諸儀礼が持ち込まれ、そのひとつであった神前婚の形式が、神社によって模倣されてうまれたことによっています。また、最近のホテル等の結婚式場でチャペルを模した式場でキリスト教式の式典を催すという形式もまた、新たに創りだされた伝統といわねばならないでしょう。

このように、私たちの日常生活の中で「むかしから」行われていると思われがちな事柄もじつは、新たに創りだされたものであることが多いことは、知っておいていいでしょう。くわえて、このように「伝統」を変えてきたことを望ましくないと考えるのではなく、むしろ、新たな伝統を創造しつつ文化を維持継承していくことこそが、私たちのアイデンティティ形成にとって大きな意味を持っているということ、このことは、覚えておいて良いと思います。

山川早弓さん、どうもありがとうございました。
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 卒業生(大学院修了)のKAさんから、この6月から8月にかけて滞在したニュージーランドでの体験についてレポートが届きました。

 私は、幼い頃より、空道という武道に取り組んできました。
 今回の旅は、約二ヶ月ということで、体がなまらないよう、到着してすぐ、空道のスタイルに近い格闘技のクラブを探し始めました。
 偶然のチャンスというものは、本当に偶然舞い込んでくるようです。こちらについてから、一週間、いろいろと、稽古できる場所を探しあたってみたのですが、なかなか満足するものが見つからず。あきらめかけていた時に、家の目と鼻の先に、キックボクシングのクラブがあるということがわかり、訪ねてみました。始めはとても緊張し、とりあえず、稽古についていくだけでした。

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  稽古を初めてしばらくしてから、たまたま試合がオークランドで行なわれるということで、稽古の中で組み手を行なう機会がありました。
  組み手は、みなさんなかなか経験したことがなく、苦労していたのですが、私にとっては、いつも稽古していることなので、すんなり取り組むことができました。そんな様子をみて、コーチから試合出場のお誘いがあり、帰国間近で試合に出場することになりました。
  私を除き、そのクラブからの出場者は5人。いわゆる、クラブの精鋭たちです。そんな精鋭たちにとっては、私は女性ですし、一外国人でしかなく、稽古の中でも、口を聞いてくれないどころか、目も会わせてくれないような、なかなか交流ができない方々でした。
  試合は、体重別で行なわれました。私は、体が小さいため、私の階級に出場選手がおらず。そのため、一つ上の階級で出場することになりました。相手は、自分より遥かに大きな選手です。安全なルールだといえ、やはり体の違いに大苦戦しました。

  試合後、目も会わせてくれなかった精鋭たちが私に走りより、私を囲み、試合結果を讃えてくれました。もちろんそこには、ただ出ただけではなく、試合内容と結果がともなってこそだなのですが。

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  国際交流、グローバル化だからと、英語の必要性が、巷では大騒ぎされています。しかし、私からしてみれば、英語というのは、ただの道具でしかなく、必要なのは、中身だと感じます。自分の中身は、「空道一直線」。腹に括った一本の槍があります。これしかないけど、逆に言えばこれがあります。言葉ではなく、体現してこそ得られた「国際交流」でした。
 日本人ならではの武道に取り組んできて、よかったと思える瞬間でした。


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昨年3月、大学院を修了した神山歩未さん(名大大学院博士課程在学中)から、ニュージーランドはオークランドからのレポートが届きました。本人の許可を得て転載しておきます。

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現在、ニュージーランドのオークランド市で、マオリのコミュニティに参加させてもらい、かれらの日常の様子や知識をどんどん吸収しようとしています。

もともとマオリは、それぞれの地方で親族集団のコミュニティをつくっていました。そのコミュニティの成員は、誰でも、共通の先祖まで辿ることができます。そのことがコミュニティの一人ひとりを強く繋げていたのです。

しかし、イギリス人が入植し、ニュージーランドはイギリスの植民地になります。その結果、マオリは仕事などをもとめて、今までいた土地から都市部へと急速に移ってきました。現在では、マオリの多くがオークランドのような都市部に住んでいます。都市で生まれ育ったマオリには、自分の祖先がどこの地方の出身なのかを知らないマオリもいるのです。

そんな彼らも、都市のマオリどうしで新たなコミュニティを形成しようとしています。現在、私が加えてもらっているコミュニティも、そんな都市のマオリによって作られたコミュニティのひとつなのですです。

このコミュニティでは、次の世代へとマオリの知識をつたえようと頑張っています。知識を伝えるのは、コミュニティの創設に携わったお年寄りのマオリです。ここで伝えられるマオリの知識とは、マオリ語をはじめ、マオリの歌、麻の織物の制作方法、儀式の行ない方などです。

一度、正式に受け入れの儀式を受けた私は、コミュニティの一員として、日々、マオリの日常や知識を学んでいるところです。先日は、コミュニティの小さな集会に参加しました。会合では、一人ずつ立ってスピーチをします。スピーチでは、だれもが、学んだマオリ語を披露していました。そして、スピーチが終わると、皆でマオリ語の歌を歌ってスピーチした人をサポートします。

今週末にも、再び集会が行なわれます。今度の集会では、スピーチで今まで学んだマオリ語を少しだけ披露できるといいなと考えているところです。思ってください。マオリ語は、植民地化の過程で、一度は失われそうになったのです。マオリの人々は、自らの言葉を再び学び直し、自分たちのものとしようとしているのです。

言葉だけではありません。私が今参加させてもらっているコミュニティでも団結のシンボルとしてのマラエ(集会所)をたて、壁面を彫刻で飾り、マオリらしい装飾で飾ろうとしています。わたしは、そうした彼らの活動に焦点を当てて、彼らの現在を理解したいと思っています。

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卒業生の田中裕美さん(12期生)からの便りが届きました。

彼女は、任地のブラジルのベレンに着いたとのことです。いったいベレンってどこなんでしょう。彼女は、国際支援のための期限付きの任務についています。
写真を一枚お借りしました。これは、ベレンの教会のひとつでしょうか。

彼女からの便りのメールを一部、許可を得て引用して書いておきます。


7月1日に日本を発ち、2日にサンパウロに到着して
22日まで訓練を受け、23日についに任地のベレンにやってきました。 
サンパウロは事前に聞いていた通りの都会で、
街も空気も汚く、路上にはゴミと路上生活者だらけ。
あまり好きにはなれませんでした。
サンパウロは現在冬ですが、日中は23度くらいに上がり、
朝晩は12~3度という天候が多かったです。
 
そして、冬のサンパウロから常夏赤道直下のベレンにやってきたわけです。
機上から初めてアマゾンを観た時は、とても感動しました。
これまでの人生で見たどの景色とも全く似ていない、本当に深い深い緑、
そして河なんだか海なんだかわからないアマゾン川の支流がアマゾンの中を
縫うように走っていました。
 
ベレンはそんなアマゾンの大自然と都会が両方ある街です。
本当のブラジルを味わうならアマゾン地域に行かなくてはいかなくてはわからない、
というのは真実だと思います。
現在は乾季ということもあり、聞いていたほどの湿度は感じません。
34度くらいの暑さで日差しは非常に強いですが、
今のところ名古屋の暑さよりはマシに感じています。
それでも、日中一番日が高い時間は人気が少なく、
極力外を歩かないのが普通だそうです。
日傘をさすのは日本人だけと思っていましたが、
こちらでは最近日よけとして傘(雨傘)をさす人が増えてきたとのことで、
実際街でよく見かけます。
 
挨拶回りをすませて、仕事をはじめようとしているところ、今の最大の悩みは、
住まいのことです。
まだ住居が決まっておらず、現在もホテル暮らしです。
サンパウロの時から含めるとホテル暮らしもまもなく1ヶ月経とうとしています。
この住居探しが大変で、職場が探してくれているのですが、
アマゾン川の河口といっても、州都なので、都会のベレンで予算内の物件を探すのがとても難しいです。
さらにブラジルでは適当なワンルーム(予算が少ないのでワンルームしか探せないのに)
がもともと少なく、職場の付近は治安が悪い場所が多いこともあり、
大変苦労し、悩んでいます...

(中略)

そもそもカルチャーショックだったのは、
ブラジルでは洗濯機を使うのが一般的ではないということです。
ジーンズもシーツも手洗いだそうで、
共同の洗濯場と言われて見てみると、洗濯板付きの流し台のことなのです。
 
愚痴っぽくなってきてしまいましたが、
目下この住居の問題をクリアしないことには
仕事も手につかないような気持ちで全く落ち着きません。
ブラジルでは何事も思うようにいかないというのを思い知らされています...
今は「(安全で清潔な日本を出てまで)なんでこんな大変なところに来てしまったんだろうか」という
当初の目的を忘れそうなほどの不安な気持ちでいっぱいですが、
あとはブラジルらしく?なりゆきまかせで、
どうしても嫌なら帰ればいいやというぐらいの感じで思いつめないようにしたいと思います。
 
早くベレンに慣れて、楽しむ余裕ができるといいなと思います。また連絡します。

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先週末(6月5ー6日)、留学生の結婚式に出席するために、上海に行ってきました。飛行時間は3時間、あっという間の旅でした。上海の町は万博の開催ということもあって、大勢のひとでにぎわっていました。

本学部及び大学院の課程を終えた留学生のSさんは、留学中に学んだ人間関係力と日本語を生かして、上海の翻訳会社で活躍しています。

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 8月1日,2008年度加藤容子卒論ゼミの卒業生が数名集まりました。卒業してもときどき会って,仕事での戸惑いや楽しさを共有したり,大学生活の思い出話に花を咲かせる,良い仲間です。

 今回の集まりの中で,「大学生活で印象的だったことは?」と尋ねたら,「自分の興味のあることは,どんどん授業を受けて勉強できたのが楽しかった!」「卒論は,自分の"これは大事にしたい"という思いを貫いて,それが形になったので,面白かった」「自分ひとりではできないこともあって,周りに助けを求めることも大事だということが分かった」などと話してくれました。

 仕事ではそれぞれ大変なこともあるようですが,「分からないことがあっても,それを上司や先輩にちゃんと伝えると,教えてもらえて仕事がスムーズに動く」「相手にFAXを1枚渡すときでも,"**さんFAXです"と名前を呼びかけると,うまくいくみたい」など,さっそく人間関係力を使って活躍しているようでした。

 楽しく過ごした帰り道には,「みんなと話すと元気になる」「みんな単に大変だと言うだけじゃなくて,いろいろ考えたり前向きに工夫していて,そんな仲間がいるのが嬉しい」と,大学生活で得た仲間関係の大切さをしみじみ感じました。

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前期定期試験も終了し、8月の校舎は静かです。

 

7月、学生のみなさんにとっては試験やレポート作成など前期の学びを振り返る時期、複数の卒業生が訪ねて来て研究室はにぎやかでした。さまざまな年齢の卒業生たちの近況報告、学生時代の授業やもろもろの思い出話に花が咲きました。

 

「今日は仕事が休みで時間ができたので来ました」から始まり、「大学の周りが変わっててビックリした」「学生さんたちが元気で若い」「先生たち変わってない」「学生時代に戻りたいと思うけど、今は今で楽しい」「いま授業を受けたら、学生のときとは違って、もっとためになると思う」などそれぞれに大学時代を振り返っていました。それと同時に、大学時代より成長したじぶんを感じたことと思います。卒業しても学び舎をひょっこり訪ねて来てくれることはうれしことです。人とのつながり、大事ですね。

 

さて、大学では毎年10月の大学祭で「椙山ホームカミングデイ」を開催しています。

卒業しても、みなさんの「ただいま」を歓迎します。

 

 

 

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ロンドン在住で、演劇学校への入学をめざす川上志野さんからのたよりを転載します。7月13日にメールが届きました。1999年のシドニー研修に参加した彼女について、このブログの「人間関係学部のシドニー研修の写真を発掘しました」でも触れています。

一昨年、彼女が名古屋で劇団活動をしているらしいという風の便りを聞いていたのですが、ロンドンに飛ぶとは、驚きですね。今度、機会があれば、いきさつを詳しく聞いてみたいと思います。


「土曜に演劇学校の試験を受け日曜に引越しをしたところです。今まではホームステイをしていたのですが、フラットに移りました。キルギスタン出身のご夫婦と一歳の娘さん、日本人女性3人と一軒家をシェアしています。
今回移り住んだ地域はユダヤ系の住民の他、韓国・日本からの留学生、トルコ・東欧出身の長期滞在者といった様々な国籍・状況の人たちが暮らしています。ホームステイ先の閑静な住宅街とはまた別の雰囲気です。こちらに引越しした理由は、日本料理店が数件ありアルバイト探しが便利なこと、安全な地域でありながら外国人が多いため物価が多少安いことです
現在、演劇学校の試験結果と履歴書を持参した日本料理店からの返事を待ちつつ、今後こちらでどう過ごそうか考えているところです。」

ロンドンは、とりわけ、多民族が集まり住む町になっています。地域によっては、治安が悪かったりするようですし、また、物価がとても高い町としても知られています。それでも、旧イギリス植民地ほか世界各地から人々が集まって学びや仕事をもとめる活気あふれる町になっているのですね。
志野さん、ご活躍を祈っています。

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