Sugiyama 人間になろう

椙山女学園大学 人間関係学部ブログ

>> Home

ニュージーランドの最近のブログ記事

 卒業生(大学院修了)のKAさんから、この6月から8月にかけて滞在したニュージーランドでの体験についてレポートが届きました。

 私は、幼い頃より、空道という武道に取り組んできました。
 今回の旅は、約二ヶ月ということで、体がなまらないよう、到着してすぐ、空道のスタイルに近い格闘技のクラブを探し始めました。
 偶然のチャンスというものは、本当に偶然舞い込んでくるようです。こちらについてから、一週間、いろいろと、稽古できる場所を探しあたってみたのですが、なかなか満足するものが見つからず。あきらめかけていた時に、家の目と鼻の先に、キックボクシングのクラブがあるということがわかり、訪ねてみました。始めはとても緊張し、とりあえず、稽古についていくだけでした。

fighting.jpg
  稽古を初めてしばらくしてから、たまたま試合がオークランドで行なわれるということで、稽古の中で組み手を行なう機会がありました。
  組み手は、みなさんなかなか経験したことがなく、苦労していたのですが、私にとっては、いつも稽古していることなので、すんなり取り組むことができました。そんな様子をみて、コーチから試合出場のお誘いがあり、帰国間近で試合に出場することになりました。
  私を除き、そのクラブからの出場者は5人。いわゆる、クラブの精鋭たちです。そんな精鋭たちにとっては、私は女性ですし、一外国人でしかなく、稽古の中でも、口を聞いてくれないどころか、目も会わせてくれないような、なかなか交流ができない方々でした。
  試合は、体重別で行なわれました。私は、体が小さいため、私の階級に出場選手がおらず。そのため、一つ上の階級で出場することになりました。相手は、自分より遥かに大きな選手です。安全なルールだといえ、やはり体の違いに大苦戦しました。

  試合後、目も会わせてくれなかった精鋭たちが私に走りより、私を囲み、試合結果を讃えてくれました。もちろんそこには、ただ出ただけではなく、試合内容と結果がともなってこそだなのですが。

Northshore Kickboxing20100815.jpg

  国際交流、グローバル化だからと、英語の必要性が、巷では大騒ぎされています。しかし、私からしてみれば、英語というのは、ただの道具でしかなく、必要なのは、中身だと感じます。自分の中身は、「空道一直線」。腹に括った一本の槍があります。これしかないけど、逆に言えばこれがあります。言葉ではなく、体現してこそ得られた「国際交流」でした。
 日本人ならではの武道に取り組んできて、よかったと思える瞬間でした。


pagetopへ戻る
昨年3月、大学院を修了した神山歩未さん(名大大学院博士課程在学中)から、ニュージーランドはオークランドからのレポートが届きました。本人の許可を得て転載しておきます。

hui.jpg

現在、ニュージーランドのオークランド市で、マオリのコミュニティに参加させてもらい、かれらの日常の様子や知識をどんどん吸収しようとしています。

もともとマオリは、それぞれの地方で親族集団のコミュニティをつくっていました。そのコミュニティの成員は、誰でも、共通の先祖まで辿ることができます。そのことがコミュニティの一人ひとりを強く繋げていたのです。

しかし、イギリス人が入植し、ニュージーランドはイギリスの植民地になります。その結果、マオリは仕事などをもとめて、今までいた土地から都市部へと急速に移ってきました。現在では、マオリの多くがオークランドのような都市部に住んでいます。都市で生まれ育ったマオリには、自分の祖先がどこの地方の出身なのかを知らないマオリもいるのです。

そんな彼らも、都市のマオリどうしで新たなコミュニティを形成しようとしています。現在、私が加えてもらっているコミュニティも、そんな都市のマオリによって作られたコミュニティのひとつなのですです。

このコミュニティでは、次の世代へとマオリの知識をつたえようと頑張っています。知識を伝えるのは、コミュニティの創設に携わったお年寄りのマオリです。ここで伝えられるマオリの知識とは、マオリ語をはじめ、マオリの歌、麻の織物の制作方法、儀式の行ない方などです。

一度、正式に受け入れの儀式を受けた私は、コミュニティの一員として、日々、マオリの日常や知識を学んでいるところです。先日は、コミュニティの小さな集会に参加しました。会合では、一人ずつ立ってスピーチをします。スピーチでは、だれもが、学んだマオリ語を披露していました。そして、スピーチが終わると、皆でマオリ語の歌を歌ってスピーチした人をサポートします。

今週末にも、再び集会が行なわれます。今度の集会では、スピーチで今まで学んだマオリ語を少しだけ披露できるといいなと考えているところです。思ってください。マオリ語は、植民地化の過程で、一度は失われそうになったのです。マオリの人々は、自らの言葉を再び学び直し、自分たちのものとしようとしているのです。

言葉だけではありません。私が今参加させてもらっているコミュニティでも団結のシンボルとしてのマラエ(集会所)をたて、壁面を彫刻で飾り、マオリらしい装飾で飾ろうとしています。わたしは、そうした彼らの活動に焦点を当てて、彼らの現在を理解したいと思っています。

pagetopへ戻る
今日は、オークランド市の中心部から車で5分ほどのところにあるニュージーランドでも最大級のマラエ(マオリたちの集会場)に案内してもらいました。

この前にも書いたように、ニュージーランドの先住民であるマオリは白人たちが来る前、「白い雲がたなびく」アオテアロア(ニュージーランドのこと)各地で部族ごとに領域を持って生活していました。現在オークランドというニュージーランド最大の都市があるこの地には、ガティ・ファツア(Ngati Whatua)と自らを呼ぶ人びとが暮らしていました。しかし、後からやってきた人びとが増えるにつれて、彼らの土地は次第に狭められて、大都市となったオークランドの各所に点々と集落を作って暮らすようになっていました。
そうした生活拠点のひとつで、現在、オラケイ・ドメインと呼ばれているところに暮らしていたガティ・ファツア部族のうちのオラケイ氏族の人びとは、1970年代になって彼らの暮らす土地の権利を回復するために500日以上にわたって座り込みを続けたのです。200人以上の逮捕者を出しましたが、その後、かれらは、700エーカーにもおよぶ広大な土地について、主権を回復させることに成功しました。

以下の写真は、オラケイ氏族の回復した土地にたてられた記念すべきマラエ(集会場)です。ちょうど、近くの小学校の子供たちがマオリのことを学ぼうとこのマラエにやってきていました。マオリたちは、まだまだ不十分と考えているようですが、1980年代以降、土地権を含む様々な先住権を回復させてきました。マオリの人口は現在ニュージーランド人口の15%程度とされていますが、彼ら少数者、さらには、先住者の権利をしっかりと受け止めて考えて、社会のなかでどのように受け止めていくための対策を講じていくことが重要だと思います。
日本にも同様の問題がありますね。

P1030346 (1 of 1).jpg
pagetopへ戻る
私は今、オークランド大学を訪問中ですが、先週土曜に当大学でもオープンキャンパスがあったそうです。

この大学は、学年は2学期制で、3月から第一学期が始まり、7月中旬から第二学期が始まります。いずれの学期も15週間からなり、うち、12週が授業があります。途中に「mid-semester break」があるのだそうで、この直前の1週間に中間試験があります。11月から2月という長い期間が夏休みですが、しかしこの間、「Summer School」というたくさんの授業が開かれるコースがあって、学生たちはこちらの授業も、別途受けることもできます。だから、3学期制のように授業を受ける学生もいるのでしょうが、でもたいがいは、この間、他大学生あるいは外国人学生をうけいれることになっているようです。

今週と来週は、第二学期の「mid-semester break」だそうで、先週の土曜にオープンキャンパスが開かれ、今週は、各高校からまとまって、相談のために生徒がやってくることになっていて、昨日今日は、制服を着た高校生たちでにぎわっていました。

以下の写真は、学生食堂とかたくさんのお店が入っている一角で、時間がずれたので、学生や生徒たちも少なくなってしまいました。

P1030320 (1 of 1).jpg
pagetopへ戻る
わたしは、先週水曜にオーストラリアでの予定を終えて、タスマン海をこえてニュージーランドのオークランドにやってきました。オークランド大学のJames Henare Maori Research Centreに今週金曜午前まで滞在し、資料収集と情報交換を行う予定です。

皆さん、ニュージーランドにはマオリという先住民がいることを知っていますか?
マオリたちの祖先は、1000年ほど前に、カヌーに乗ってHawaikiと彼らが呼ぶ島からニュージーランド(彼らの言葉ではAotearoaといい、ニュージーランド国家の公式別名として使われています)にやってきました。現在では、かれらのいうHawaikiとは、ソサエティ諸島(Society Islands)であることがわかっています(ここにポリネシアの地図のリンクがあります。ソサエティ諸島は地図の中央、フレンチ・ポリネシアに含まれます。ニュージーランドとの位置関係をみてください)。かれらは、風の力と彼らの航海に関する知識によって、Aotearoa(白い雲のたなびく場所という意味だそうです)にたどり着き、また、Hawaikiとの間を往復して入植したのです。
マオリたちの国、Aotearoaに白人たちによって発見されたのは、1642年、オランダ人のアベル・タスマンによるとされています(オーストラリアとを隔てている海が彼の名前にちなんでタスマン海と名付けられているのですね)。つづいて、1769年イギリスのジェームズ・クックの船団がやってきて、その後、ヨーロッパ人たちがクジラ取りやアザラシ取りのためにやってきました。
その後、英仏の植民地拡大闘争のなかで、イギリス系の住民たちがマオリの首長と組んでイギリス国王の庇護のもとに入ることを選択したのが、1840年に締結されたワイタンギ条約でした。この条約を根拠にして、白人たちは植民地化を進めたのです。1860年から10年にわたるマオリ戦争が戦われますが、マオリは破れマオリたちの主権が奪われていきました。
20世紀に入るとマオリたちは「マオリ青年党」を結成して、ニュージーランド議会に議席を獲得するなど、権利復活の運動を始めます。また、第一次世界大戦や第二次世界大戦(太平洋戦争)にマオリたちも参軍して活躍するなど、次第に、地歩を固めていきます。1960年代になって、世界的なマイノリティの権利主張に応じて活動を強化し、マオリルネッサンス(マオリ復興運動)のなかでマオリによるマオリのためのマオリ学の構想がたてられて、現在ではニュージーランドではすべての大学にマオリ学部が設置されています。
また、1975年になって、マオリの権利喪失問題について主管するワイタンギ審判所がもうけられ、さらに、1985年にはワイタンギ条約の内容についてマオリに対する権利侵害を少なくするよう改めてワイタンギ条約法が修正され、その後、土地権や漁業権をめぐって、マオリたちの権利回復が進んでいます。

先週木曜、たまたまだったのですが、大学に設置されているMarae(マラエ:マオリの集会場で、当大学のマオリ学部に隣接して建設されています)で、オークランドの旅行学校の生徒たちがマオリについて学ぶクラスが開かれていましたので、参加してきました。
クラスの参加者の出身は多様で、ニュージーランドの白人、マオリ、フィジー島のインド系、韓国人などでした。この日のクラスは、マオリの重要な儀礼が行われるマラエの意義とか、マラエに入るための儀式を再現するとかいったものでした。ニュージーランドの観光産業は国民総生産の13%と大きく、マオリの文化は重要な観光資源なのです。生徒たちも真剣に学んでいました。


P1030238 (1 of 1).jpg
pagetopへ戻る

最近のブログ記事

アーカイブ

その他お知らせなど

椙山女学園大学 人間関係学部 日進キャンパス画像
椙山女学園大学 人間関係学部
〒470-0136 日進市竹の山3-2005 TEL(0561)74-1186(代) FAX(0561)73-4443
(c)2009 School of Human Sciences, Sugiyama Jogakuen University
Powered by Movable Type